KenGのあしあと(学級通信より)

過去に出してきた学級通信を紹介

第一期 新規採用校1年目 1

「小学校の先生になりたい。」

そう思ったのは、小学生の頃でした。

 いろいろだらしなく、お調子者で、生活も乱れかけていた5年生の頃、担任だったY先生が、厳しくもまっすぐ私に向き合ってくださいました。

 あるとき、叱られているのに照れ隠しからかニヤニヤしていたら、「なに笑ってるんだ!」と、思いっきり頬をぶたれたことがあります。

 複雑な家庭事情で心が安定せず、それが生活の乱れにつながっていたのだと思います。

 そんな私を心配してか、Y先生は何度も家庭訪問してくださり、私の母とだけでなく私にも話をし、帰っていきました。

 そのとき何て言われたのかは覚えていませんが、これまでの自分を深く反省し、生活を改めようと決心したことは間違いありません。

 自分の生き方を変えてくださったのが、Y先生です。

 このときおそらく自分は、

「Y先生のような先生になりたい。」

と、決めたんだと思います。

 

 さて、念願かなってW県の採用試験に合格し、K市の小学校に勤めることが決まりました。

「教師になったら、これだけは絶対。」と決めていたことがあります。

 それは、「学級通信を書くこと。」です。

 しかも、ほぼ毎日!

 子どものこと、子どもとの日々のこと、自分の思い、考え、そういったことを書いていきたい。

 そんなことを決めていたのは、学生時代に一緒だった友人(小学校教員をしていた)に、その人が書いてきた学級通信をまとめたものをいただき、それを読み、衝撃を受けたからです。

 引き込まれました。「先生になったら、自分もこんな通信を書きたい。」と思いました。

 彼の通信は、連絡事項を載せた「誰でも書ける。読む側は、連絡を確認したらそれまで」といったものではありません。

 子どもとのやり取り、その日のできごと、何気ない場面を取り上げ、そのときの気持ちの揺れや叫びが伝わってくる。

 「熱意」がビシビシ伝わってくるのです。

 学級通信を書こうと決めたのが、彼との、彼の通信との出会いだったのです。  

 

 そんな願いを抱き赴任したK市の小学校は小さな小学校で、私は3年生の担任になりました。

 では、そのときどんな通信を書いていたのか・・・。

 探したのですが、悲しいことにそのときの通信を綴じたものが見つかりませんでした。

 おそらく仕事を辞めたとき、大量の書類や本、ノート類などとともに処分してしまったのだと思います。

 あちらこちら探し、何とかそのときの通信が何枚か出てきました。

 その中の1枚、通信のNo5(4月20日)は、こんな一文から始まります。

 

    涙が出そうになりました。