涙が出そうになりました。あまりにも悲しくて。昨日の給食の時間の出来事です。
同じクラスの仲間をよってたかってからかう。近づいてきたら逃げる。足蹴にする。罵声を浴びせる・・・。同じ仲間に対してすることでしょうか?(もちろん、この時間だけではない)
一人の人間の人権をまるで無視したできごと。とめるものは誰もいない。この光景を見て笑っているか、黙々と食べているだけ。担任の私は何度か怒鳴り、その度毎に一応おさまるが、また少しすると同じことが繰り返される。
(これではいけない。このままでは、3の1はだめになってしまう。)
そういった思いにかられ、5限目は、急きょこのことについての話し合い、ということにしました。もし自分が、やられる立場だったらどういう気持がするか、なぜそういうことをしたのか、給食の時間のとき、どういう気持ちがしたか等・・・。
「とてもかわいそうな気持ちがした。」誰かが発言しました。何人かも同じ様な発言をしました。ほとんどは、おし黙ったままです。やはり人前では素直な気持ちが言いにくいのでしょう。紙を配り、書いてもらいました。
(中略)
人それぞれ顔が違うように、感じ方、生き方が違います。それを「個性」と言います。その個性を大切にするというのは、口で言うのは簡単ですが、実際は至難の技です。でも、それぞれの良いところ、素晴らしいところはどんどん伸ばしたい。そうすればこんなできごとも少なくなってくるような気がします。
このときのことは、覚えています。
初めて担任したクラスで起こった「いじめ」。
目に余るものがあり、「このままではだめだ・・・。」そんな危機感におそわれました。
掃除の時間に、いじめられていた子ども(以下Aさん)を呼び、話を聞きました。
Aさんは、自分の思いや考えを言葉にするのが苦手な子どもです。
時間をかけ、必死に言葉を選び、次のようなことを私に話しました。
「悪い、いやな気持ちがする。1年生の時からずっとされてきた・・・。」
このAさんの言葉を、みんなに伝えました。
子どもたちは、し〜んとなって話を聞いていました。
その後、いじめは完全にはなくなりませんでしたが、少なくとも私の前では、このようなことは起こらなくなりました。
Aさんがいじめられ、辛い思いをしたのは担任である私の責任です。
給食の時間に、しかも担任の見ている前でこのようなことがされていた。
力のなさを、痛感します。
教員免許を取得し、採用試験に合格したとはいえ、「教育」「指導」など現場に必要なことについて真剣に学んでこなかった。
「気持ち」だけで教壇に立ち、授業をし、子どもたちとかかわってきた。
教師になりたての4月。
薄っぺらい指導。
力のつかない授業。
悲しいほど力のない教師でした。
子どもに振り回されながら、拙い実践をしていたのです。
この通信を読み、苦い思い出を今、かみしめています。