まずは体育館での二人のケンカについて少し話した。
ただのケンカではなく、お互いに悪口を言いあっていたから許せなかったという事を話した。
そして、ぼく自身の小学校時代のいじめの体験談をした。
自分自身、いじめられたことも、いじめたこともある。
特に小学校6年生のとき、ある子をよくからかった。
放課後、家の仕事の手伝いをして家計を助けている、そんな子だった。
ぼくたちはよく、「きたない!あっち行け!」って言ったり、石をぶつけたり、今思えばひどいことをしてきた。
ところがある日、その子が焼死したという新聞記事が目に入った。
仏壇の火が燃えうつり、家で寝たきりだったおじいさんを助けに行き、そのまま焼死したのだった。
ぼくはショックだった。涙が止まらなかった。
彼をいじめてきたことを悔いた。でももう、謝ることさえできないのだ。
人の心を傷つけるということは、許されることではない。
ぼくがいじめ・差別にこだわる原点が、ここにある気がする。
さて、こんな話(ちょっと子どもたちには実感がつかめず、真意が伝わらなかったかもしれないが・・・)をした後、『友だち』という詩を読み、「本当の友だちって、何だろう?」と問うた。
子どもたちが考える「本当の友だち」を紹介する。
・ たすけあって生きる。
・ たすけあって、けんかをして、すぐなかなおりができる。
・ いつもあそんだり、けんかをしない友だち。
・ やさしい友だち。
・ 楽しく勉強やあそんだりする。
・ こまったときは助ける。
・ なかよし。
・ 悪口を言わない。
もっともっと、深めていきたい。
どうして私の体験談をここでしたのか、覚えていません。
おそらく、「具体的な事実」を話すことで、人ごとではないということを伝えたかったのだと思います。
道徳の授業で私は、「作られた話」より「実際にあったできごと(事実)」を教材としてよく使ってきました。
「こんなことが、本当にあるんだ。」と知ることで、身近なこととして真剣に、自分事として考えようとするからです。
今回は、3年生のこどもには少し合っていなかったと思います。
自分のねらいと、子どもの受け止めはずれていたでしょう。
やや、行き当たりばったりの実践でした。