先日、ぼくは出張だったので、一日るすにした。
その時の様子を子どもたちに聞くと、いくつか問題になるところがあった。
例えば、「きりつ・れい」の時、Nちゃんが責められていたという事(これは今後、対処していかなくてはならない重要な問題の一つでもある)や、ザワつきがやはりあったという事がある。
一通り話を聞いたあと、一つひとつについてぼくの考えを述べ、そして「昨日のことは水に流します。今日から、気持ちを入れ直して、一からがんばりましょう。」と、あいまいなまとめ方をし、授業に入った。
何となく重い、いやなスタートである。
3時間目は算数だった。
かけ算のまとめとして、文章題のプリントをした。
答えを何か所かにはりつけておき、全部できたら自分で答え合わせをする。
それができたら、二枚目のやや難しいプリントをする。
こんなシステムであった。
個別指導をその間にする。
算数は、個人のスピードの差がはげしい。
10分でできる子もいれば、20分、30分もかかる子もいる。
これは当然のことであり、速い子には発展課題を与え、アドバイスが必要な子に、その間ついていなければならない。
この時間、予想していたことだが、ザワつきがやはりおこりはじめた。
何人かが「静かにして。」と言うのだが、効果はほんの一瞬。
ぼくは何も言わず、様子を見守っていた。
その間ぼくは、
・ こんな中で、どうして平気でいれるのか。
・ 何度も話してきたことが、どうしてこう繰り返されるのか。
・ 他の人のこと、クラスの仲間のことを、なぜ考えられないのか。
こんなクラスにしてしまった自分を責めながら、ずっと考えていた。
そこでぼくは、
「もう同じ事を何度も言うのがいやになりました。
もう話は聞かなくてよろしい。
自分たちだけで、勉強をしなさい。」
と言って、教室を出た。
クラス・学級の子どもたちと全面対決である。
教師から何か言われて直すのではなく、自分たちで自分たちのことを考えてほしいと思った。
そうしなければ、結局のところ同じことを繰り返すだけである。
何を、どう考え、どう結論を出すか。
ここを、どうのりこえるか。
このままくずれていくのか、それともこれを機会にうんと成長していくのか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「どうしてなんだ・・・。」
「どうしたらいいんだろう。」
子どもたちを見ながら、情けない気持ちになりながら、あれこれ考えを巡らせていたと思います。
怒鳴れば静かになるでしょう。
でも、それは「指導」ではない。
対処の仕方は、いろいろあります。
今ならこのようなことは、おそらくしない。
でもこの時は、こうするしか仕方がなかったのだと思います。
ただ一つ言えることは、「子どもたちを信じていた」ということです。
「きっと自分たちで話し合い、何とかしようとする。」
そう信じていました。