W大学附属小学校へのまさかの異動。
その連絡は、2000年の年が明けてから間もなくのことだったと思います。
その年の1月に二人目の子どもが生まれたこともあり、私は異動の打診を断りました。
附属小学校に勤務するとなると、連日帰りは遅くなり、多忙な日が続くことが考えられます。
上の子もまだ小さかったので、妻にかかる負担を考えると「行きます。」とは言えませんでした。
春3月、土曜日か日曜日でした。
現任校の学校長が、私の家を訪ねてきました。
附属小学校への異動を説得するためです。
妻と一緒に話を聞きました。
”大変なこともあるけれど、きっと力になる。こんなチャンスは、誰にでも与えられるものではない。行って学ぶことの意味は大きい。”
そういったことを話されたと思います。
妻とも相談し、異動の話を受けることにしました。
「家のことはなんとでもなるから、がんばって、行ってきて。」
そう背中を押してくれた妻に、感謝です。
春休み、今までほとんど読んだことのない学習指導要領を読みました。
附属小学校がどんなところなのか、漠然としたイメージしかありませんでした。
「研究推進校」「教育実習校」「研究発表会を毎年している」・・・。
今までの自分の実績を考えても、とても勤まりそうもありません。
落ち着かなく、せめてこれだけでもという思いで「学習指導要領」をなぜか毎日読んでいました。
さて、2000年4月1日、いよいよ出勤です。
そのときに「生活科の担当である」ということ、「1年生の担任である」ということを伝えられました。
「え!」と、絶句しました。
これまで生活科は校区を探検したり、おもちゃを作って遊んだり、料理を作って食べたり、そういったことしかしていません。
また、1年生担任は、初めてです。
さらにその日、「ちょっと今日は遅くなるよ。」と言われ、「初日だし、8時頃かな。」と思っていたら、帰りは12時を過ぎていました。
こうしてまさしく、「疾風怒濤」の日々が始まりました。
毎日子どもの寝顔に「行ってきます。」と言い、そしてまた寝顔に「ただいま。」と言っていました。
そんな日々の最後の年、2005年度の通信を、次回から紹介していきます。