20日(金)は、私の研究授業(生活科)でした。
自分が育てているアサガオの様子を発表し合い、これからどのような世話をしていくともっと育つかを考えました。
これからの世話としては、「毎日水をあげる。」「水をあげすぎると弱るので、あげすぎないようにする。」「光にあてると育つ。」「支柱を立てる。」「ゴミを鉢に捨てないようにする。」が出されました。
そして私からは、
「間引きをしないと栄養を取り合って、大きくならない。」と話し、
「間引きをどうするか。」
と投げかけました。
毎日水やりをしたり、観察をしたり、芽の数が増えるとうれしそうに話をしに来たり、大切に育てているアサガオです。
「1つだけ残してあとは抜いてしまう。」という話に、かなり抵抗があるだろうな、
「間引きはいやだ。したくない。」
「でも、しないと大きくならない。」
「間引きして抜いた芽は、別のところに植えて育てよう。」
そのような話し合いになると予想していました。
「え~。」「かわいそう。」というつぶやきがあったので、それを取り上げて話し合いをさせればよかったのですが、「どうしますか。」と私がたずねたとき、「はい。」と手をあげた子どもは、おそらく「間引き反対派」であろうと考えました。
ところが意外と、「間引きをします。」「やります。」という意見が続きました。
でも、それもすべてアサガオのことを思う優しさからです。
それは、「かわいそうだけど・・・。」「せっかく芽が出たけど・・・。」という言葉にも表れています。
そして、「大きく育ってほしい。」という願いがそこにはあり、
「(今のままの)ぎゅうぎゅうづめだとかわいそう。」
「(栄養を)取り合うのはかわいそう。」
だから、やむを得ず間引きをしようという気持ちなのだと思います。
「抜いた芽はどこに植えるのか。」という質問が出ました。
「抜いた芽はどうするのか。」ではなく、「どこに植えるのか。」と聞くところが、さすがだと思いました。
抜いた芽も「育てていく。」ということが前提にあるからです。
「間引きをしたくない。」と考えている子どもも、もちろんいました。
間引きをしてもしなくても、どちらでもいいと考えています。
大切なのは、アサガオへの思いであり、願いです。
それを具体化するのは、子どもたち自身です。
それにしても、1時間ほとんど話し合いでしたが、子どもたちはよくがんばったと思います。
考えたわけを言える子どもが、増えてきました。
目の前にアサガオの鉢を置かせたこともあり、聞く姿勢はじゅうぶんではありませんでしたが、子どもたちの力を感じる授業でした。
私の授業力は、まだまだですが・・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
生活科の担当教員として6年目でしたので、本を読み、授業実践も見させていただき、少しは「生活科とは何か」は話せるようにはなっていました。
大学生にも、講義らしき事をしなければいけないので、必死でした。
「子どもの思いや願い」があり、それを実現するために試行錯誤しながら活動して
いく。
のが、生活科では大切なんだと語ってきたと思います。
アサガオの授業では、「間引き」で揺さぶり、子どもたちがどう考え、どうしていくか。
考え、行動していくこと。
それは、子どもたち一人ひとり違って当然。
私はただ見守り、ときにはチャチャを入れ、課題があれば全体に投げかける。
そしてまた子どもたちが考え、活動につなげる。
生活科の授業では、その繰り返しでした。