昨日の道徳で、身近な出来事から、「何が問題なのか」を考えさせました。
まず、クラスの友だちの洗濯ばさみ(牛乳パック用)が割れていたことと、低学年用の女子トイレの使い方が悪く、便器から汚水があふれてくるなか、6年生の掃除当番の人たちがきれいにしてくれていることの2つの出来事について話し合いました。
1つ目のことについては、「誰かがふんで割った。」「誰かがふんで、そのままにしていた。」からそうなったんだということが、確認されました。
2つ目のことについては、「誰かが流さなかった。」「トイレットペーパーをいっぱい使いすぎた。」からそうなったんだということが、確認されました。
この2つに共通する問題は何かを話し合ったところ、「約束を守っていない。」ということが出されましたが、それ以上は出なかったので、私の方から、
「2つとも、『誰かが』やってしまって、『そのまま』にしていたから、相手に迷惑をか
けている」
ことが問題であると話しました。
洗濯ばさみを何らかの理由で割ってしまったことは、仕方のないことです。
それを相手や私に伝えず、そのままにしていたことがいけないと思います。
トイレも、つまらせてしまったのなら、そのままにしないで、誰かに知らせることで、そのときに何とか対処ができたと思います。
そうすれば、6年生の掃除当番の人たちに、大変な思いをさせずにすんだのです。
何か失敗してしまったときは、正直に知らせるようにしましょうと、話しました。
次に、あだ名のことで話し合いをしました。
資料を読み合い、「人の嫌がることは言ったらだめ。」「自分が言われたら嫌な気持ちになるから、絶対に言ってはいけない。」といった意見のあと、自分が過去に言われた経験を話し出す子どもが出始めました。
「こんなことを言われて、とても嫌だったから言わないで。」ということを、子どもたちは語り始めたのです。
「嫌なことは我慢しないで、嫌と言おう。」「相手の思いを想像して、自分が言われて嫌なことは言わない、されて嫌なことはしない。」ことを話しました。
身近なところの問題だけに、子どもたちはリアルに自分と重ね、考えることができたと思います。
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道徳の教材は、「事実」であることが大事だと考えています。
説得力があるからです。
自分の生活、思いを重ねやすいからです。
このとき私が子どもたちに伝えたことは、普段からも話しているような「あたりまえ」のことです。
ただ、具体的な事実を通すことで、子どもたちは「はっ」となり、「あ、そうか。」と納得しやすくなります。
あだ名のところで、子どもが自分のことを語り始めた場面は、とても印象的でした。
聞いていた周りの子どもたちは、しっかりと受け止めることができたと思います。
友だちが、自分の言葉で自分のことを訴えたのですから。
仲間として信頼関係できてきたからこそ、言えたのだと思います。
