土曜日、2時間目に、学級会をした。
1時間目の体育が終わるのがおそかったので、2時間目の開始も、やや遅れた。
ぼくはだまっていすにすわり、ドリルなどに目を通す。
「起立、礼」の号令がかかる。
号令が終わったあとも、ぼくは何も言わない。
ただだまって、ドリルに目を通していた。
なかなか自分たちで、始めようとしない。
司会グループも気がついていないのか、となりとしゃべったりしている。
「学級会」という声も少し出てくる。
でも、始めようとしない。
ぼくも何も言わず、放っておく。
時間は後20分。
国語の教科書を読み始めた者2名。理科の教科書を読んでいる者1名。資料集を読もうとする者1名。
教室はシーンとなっている。
不安そうにぼくを見つめている者5名。
時間は後10分。
ここでぼくはようやく口を開く。
「何の時間ですか?」 ー「学級会」
「司会グループはどこですか?」
「役割は決まっていますか?」
「何について話し合うのですか?」
あと10分で何も話し合えるわけがない。
子どもたちはこの失敗で、次のことを学んだはずだ。
・ 役割分担、準備は事前にしておく
・ 話し合うことをはじめに決めておき、自分の意見を前もって考えてくる
この失敗を、ぼくは予想していた。
こんなふうに進めるんだよ、こんなふうに準備するんだよと教えるのは簡単だ。
しかし、それではいつまでたっても指示待ち人間のままである。
なぜしなければならないのか、それを実感させたとき、自分で考えて次からは行動できるようになるはずだ。
次の学級会、期待する。
当時、この学校では「学級会」をテーマに研究していました。
司会グループが司会、記録、黒板と役割を分担し、学級会を進めていきます。
議題ボックスに子どもたちが「話し合いたいこと」をカードに書いて入れ、司会グループがそれらを検討し、何について話し合うかを決めます。
そのような流れが子どもたちに定着している、と当時の私は判断していたのでしょう。
自分たちで進める姿を期待し、あえて声をかけたり、指示したりしなかったのだと思います。
考えてみれば、これは放任です。
まずは学級会の進め方を全体で確認し、やらせてみて、そして「次からは自分たちで進めるんだよ。」としておく必要がありました。
この失敗は、子どもの失敗ではなく、担任である私の失敗。
子どもに責任はありません。