KenGのあしあと(学級通信より)

過去に出してきた学級通信を紹介

第一期 新規採用校4年目 失敗ではじまった学級会  1994.4.25 No.12

 土曜日、2時間目に、学級会をした。

 1時間目の体育が終わるのがおそかったので、2時間目の開始も、やや遅れた。

 ぼくはだまっていすにすわり、ドリルなどに目を通す。

「起立、礼」の号令がかかる。

 号令が終わったあとも、ぼくは何も言わない。

 ただだまって、ドリルに目を通していた。

 なかなか自分たちで、始めようとしない。

 司会グループも気がついていないのか、となりとしゃべったりしている。

 「学級会」という声も少し出てくる。

 でも、始めようとしない。

 ぼくも何も言わず、放っておく。

 時間は後20分。

 国語の教科書を読み始めた者2名。理科の教科書を読んでいる者1名。資料集を読もうとする者1名。

 教室はシーンとなっている。

 不安そうにぼくを見つめている者5名。

 時間は後10分。

 ここでぼくはようやく口を開く。

「何の時間ですか?」 ー「学級会」

「司会グループはどこですか?」

「役割は決まっていますか?」

「何について話し合うのですか?」

 

 あと10分で何も話し合えるわけがない。

 子どもたちはこの失敗で、次のことを学んだはずだ。

 

・ 役割分担、準備は事前にしておく

・ 話し合うことをはじめに決めておき、自分の意見を前もって考えてくる

 

 この失敗を、ぼくは予想していた。

 こんなふうに進めるんだよ、こんなふうに準備するんだよと教えるのは簡単だ。

 しかし、それではいつまでたっても指示待ち人間のままである。

 なぜしなければならないのか、それを実感させたとき、自分で考えて次からは行動できるようになるはずだ。

 次の学級会、期待する。

 

 当時、この学校では「学級会」をテーマに研究していました。

 司会グループが司会、記録、黒板と役割を分担し、学級会を進めていきます。

 議題ボックスに子どもたちが「話し合いたいこと」をカードに書いて入れ、司会グループがそれらを検討し、何について話し合うかを決めます。

 そのような流れが子どもたちに定着している、と当時の私は判断していたのでしょう。

 自分たちで進める姿を期待し、あえて声をかけたり、指示したりしなかったのだと思います。

 考えてみれば、これは放任です。

 まずは学級会の進め方を全体で確認し、やらせてみて、そして「次からは自分たちで進めるんだよ。」としておく必要がありました。

 この失敗は、子どもの失敗ではなく、担任である私の失敗。

 子どもに責任はありません。