職員室で、ぼくは今の6年生の半分を、3,4年生の頃受け持った時を思い出していた。
新採の頃の事である。
今よりもっとひどい、力のない教師だった。
当然のごとく、3年生の頃は騒然としたクラスになった。
ところが4年生になり、うそのように落ち着きのある、他の先生方も感心するほど、しっとりとしたクラスになった。
これはぼくの力ではなく、発達段階によるものであろう。
一方、となりのクラスは3年生の頃から落ち着きのある、しっとりとしたクラスであった。
そう考えると、教師の責任は大きい。
4年たってもまだぼくは、力のない教師のままだ。
子どもたちの顔を一人ひとり思い浮かべながら、「今何を考えているんだろう、どんな心の葛藤があるんだろう、ケンカしていないだろうか。」と、とめどなく思いがあふれてきた。
給食の時間になった。
ぼくは教室に行った。
机の上には、ぼくの給食の準備がいつものように置いてあった。
来ると思っていたのであろうか。だがぼくは、その給食を持って、職員室に行った。
胸がはりさけそうで辛かったが、これは勝たねばならない対決なのだ。
きっと子どもたちは、自分たちなりの解決方法でぼくの所に来るはずだ。
そうでなければ、この半年間何を教えてきたのか!
昼休み中、S君とY君が来た。「ごめんなさい。」とあやまりに来たのだ。
しかし、
「先生はクラスみんなに怒っているんだから、君たちだけが来てもだめです。」
と、教室にもどした。
掃除が終わり、子どもたちがズラズラっとやって来た。
みんなで声を合わせ、「ごめんなさい。」と言った。
いったん教室に戻るように指示し、ぼくも教室に行った。
教室はシーンと静まりかえっている。
学級通信を配り、読むように指示した。
そして、一人ひとりに、先生が出ていってから今までどんな事を考えていたかを聞いた。
泣き出す子が、何人もいた。
全員に聞いたあと、
”他の人の事、周りの人の事が考えられなくっちゃ、3の2の夢の飛行船は落っこちて
しまう。
話が聞けない、注意が聞けないというのは、人の気持ちを大切にしていないからだ。
せっかく23人が、一つの夢の飛行船に乗ったのだから、バラバラになるんじゃんな
くて、みんなで助け合って、一つになって大空高く飛んでいこう。”
そんな、いつも言ってるような、あたりまえの話をした。
けど、この日はきっと、心にひびいているはずだ。
残り20分もなかったけど、体育館で一緒になってドッジボールをした。
子どもはやっぱり笑顔が最高である。
この日を胸に、きざんでほしい。
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このときの学級通信の名前が「夢飛行」でした。
「夢の飛行船にみんなで乗って、高く高く飛んでいこう」といったようなことを、子どもたちに話していたと思います。
周りの先生方も、「どうしたん。」「子どもたちだけで、だいじょうぶ?」と、心配していました。
事情を話すと「そうか。」と言って、あたたかく見守ってくださいました。
それがとっても、ありがたかったです。
子どもたちが何時間も自分で、自分たちで自分のこと、クラスのことを振り返り、考える。
こんなことは、なかなかないと思います。
子どもたちを信じていたからできました。
長い長い一日でした。