KenGのあしあと(学級通信より)

過去に出してきた学級通信を紹介

第一期 新規採用校4年目  ついに全面対決(2) 1994.10.22 No. 69

 職員室で、ぼくは今の6年生の半分を、3,4年生の頃受け持った時を思い出していた。

 新採の頃の事である。

 今よりもっとひどい、力のない教師だった。

 当然のごとく、3年生の頃は騒然としたクラスになった。

 ところが4年生になり、うそのように落ち着きのある、他の先生方も感心するほど、しっとりとしたクラスになった。

 これはぼくの力ではなく、発達段階によるものであろう。

 一方、となりのクラスは3年生の頃から落ち着きのある、しっとりとしたクラスであった。

 そう考えると、教師の責任は大きい。

 4年たってもまだぼくは、力のない教師のままだ。

 子どもたちの顔を一人ひとり思い浮かべながら、「今何を考えているんだろう、どんな心の葛藤があるんだろう、ケンカしていないだろうか。」と、とめどなく思いがあふれてきた。

 給食の時間になった。

 ぼくは教室に行った。

 机の上には、ぼくの給食の準備がいつものように置いてあった。

 来ると思っていたのであろうか。だがぼくは、その給食を持って、職員室に行った。

 胸がはりさけそうで辛かったが、これは勝たねばならない対決なのだ。

 きっと子どもたちは、自分たちなりの解決方法でぼくの所に来るはずだ。

 そうでなければ、この半年間何を教えてきたのか!

 

 昼休み中、S君とY君が来た。「ごめんなさい。」とあやまりに来たのだ。

 しかし、

「先生はクラスみんなに怒っているんだから、君たちだけが来てもだめです。」

と、教室にもどした。

 掃除が終わり、子どもたちがズラズラっとやって来た。

 みんなで声を合わせ、「ごめんなさい。」と言った。

 いったん教室に戻るように指示し、ぼくも教室に行った。

 教室はシーンと静まりかえっている。

 学級通信を配り、読むように指示した。

 そして、一人ひとりに、先生が出ていってから今までどんな事を考えていたかを聞いた。

 泣き出す子が、何人もいた。

 全員に聞いたあと、

 

 ”他の人の事、周りの人の事が考えられなくっちゃ、3の2の夢の飛行船は落っこちて  

 しまう。

 話が聞けない、注意が聞けないというのは、人の気持ちを大切にしていないからだ。

 せっかく23人が、一つの夢の飛行船に乗ったのだから、バラバラになるんじゃんな

 くて、みんなで助け合って、一つになって大空高く飛んでいこう。”

 

 そんな、いつも言ってるような、あたりまえの話をした。

 けど、この日はきっと、心にひびいているはずだ。

 残り20分もなかったけど、体育館で一緒になってドッジボールをした。

 子どもはやっぱり笑顔が最高である。

 この日を胸に、きざんでほしい。

 

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 このときの学級通信の名前が「夢飛行」でした。

 「夢の飛行船にみんなで乗って、高く高く飛んでいこう」といったようなことを、子どもたちに話していたと思います。

 

 周りの先生方も、「どうしたん。」「子どもたちだけで、だいじょうぶ?」と、心配していました。

 事情を話すと「そうか。」と言って、あたたかく見守ってくださいました。

 それがとっても、ありがたかったです。

 子どもたちが何時間も自分で、自分たちで自分のこと、クラスのことを振り返り、考える。

 こんなことは、なかなかないと思います。

 子どもたちを信じていたからできました。

 長い長い一日でした。