KenGのあしあと(学級通信より)

過去に出してきた学級通信を紹介

第一期 新規採用校4年目  「学級会で決まったこと」の紙を破り捨てる 1995.1.27 No. 96

 『忘れ物のオニを追い出す』ことに決まった次の日、何人かが「◯◯を忘れました。」と言いに来た。

 集会での発表が上手だったことをほめた直後であった。

 全員に聞いた。

「今日、忘れ物をした人は手をあげてごらん。」

    8人程があがった。

 内心ムッとしながらも、(初日だからいいか・・・)と、それ以上問いつめなかった。

 

 給食の時間になった。

 放送が始まった。

 何度か書いたと思うが、放送委員さんの次の言葉で始まる。

 

”お昼の放送の時間です。

お話をやめて、静かに聞きましょう。”

 

 2つのことをお願いしている。

 ① 話をやめること

 ② 静かに聞くこと

 放送中、うるさいわけではない。

 だが、2つのお願いが守られているとは言えない。

 注意をするのは2,3人。

 昨日もやはり、何人かがしゃべったり、ふざけたりしていた。

 学級会で話し合った次の日だったので、カチンときた。

 

 ”あの話し合いは、何だったのか!”

 

 決まらなかったもの以外も努力してなくしていこう、お互い注意し合ってなくしていこう、そう確認し合ったはずだ。

 ”あたりまえのことがあたりまえにできるようになりたいから”ではなかったのか!

 放送が終わった後、一気にまくし立ててしゃべった。

 そういえばマラソンだって、クラスのめあての「努力だ!」の部分ができていない。

 決めっぱなし、言いっぱなしで終わっている。

 自分の指導力のなさを棚に上げ、子どもたちにあたりまくった。

 自分の給食を片付けに行く途中、「学級会で決まったこと」として書いた紙

 

  ”あたりまえのことがあたりまえにできるようになりたいから

 忘れ物の多いオニを追い出すぞ、オーッ!”

 

掲示板からはずし、破り捨てた。

「こんなのうそだ!」と言いながら。

 何だか後味の悪い、そんな一日となった。

 

 

 カッとなりやすい性格だったこともあり、ずいぶん乱暴な指導(?)だなあと感じました。

 「こうしようね。」と言って、その通りになるのなら、教師はいらない。

 子どもは(大人も)思う通りにはならない。

 地道な指導を積み重ねるしかない。

 それでも10人いて、2,3人に響くかどうか。

 思う通りにならないから悩み、考え、勉強し、「これだ!」と思うものをやってみる。

 その繰り返しです。

 そうすることでしか、教師としての力はつかないのだと思います。

 忘れ物の場面、今の私なら

「今日、忘れ物をしなかった人」

とたずね、例え1人でも思いっきり褒め、黒板に「1」と書きます。

 次の日も同じようにたずね、忘れ物をしなかった人数を書く。

 少しずつ、人数は増えるでしょう。

 全員にはならないと思います。

 それでいいのです。

 できていることを褒め、それを広げていく。

 その方が、子どもも気持ちいいと思います。