KenGのあしあと(学級通信より)

過去に出してきた学級通信を紹介

第一期 新規採用校4年目  人は助け合って生きるもの 1995.2.2 No. 99

 H君がケガをした。

 右手の中指を骨折し、走ったり、ジャンプしたりもできないらしい。

 朝、ケガしたことをみんなに話した。

「H君に、何かできることはないかな?」

と、たずねた。

 すると、

・ (字が書けないから)H君の言ったことを代わりに書いてあげる

・ 給食を配ってあげる

・ できる遊びを一緒にする

などが出された。

 話し合って決めようということになったので、4限目に話し合った。

 昨日のことである。

 いろいろな意見が出た。

・ 近い人が手伝う

・ 宿題は、次の日の朝、いっしょにやる

・ 日直さんは、「おたすけマン」だし、みんなできるから日直さんが順番に手伝う

・ 計算は、速くできた子が手伝ってあげる

・ 順番を決めて手伝おう(班、名簿順、プロの順など)

・ 漢字は指で覚えられるから、指で書けばいい

・ H君が自分でできることは自分でする。できないことをしてあげる

・ そうじで、できないような仕事は代わってあげる

 

 みんなで手伝おうということで、意見はまとまっている。

 問題はその方法である。

「近い人が手伝うことにしましょうか?」

と、聞いてみると

「だめだ。」

と言う。

「なぜ?」

と聞くと、

「友だちなんだから、みんなでやりたい。」

ということであった。

 話し合った結果、「プロの順で手伝う」「となりに余っている机といすをつけ、手伝う人が交代ですわる。」「そうじは、できないような仕事はかわってあげる。」ことでまとまった。

 こんな時こそ大切なのは友であり、助け合いである。

 人は決して一人で生きているわけではない。

 

 今日、H君は元気よく登校した。

 朝さっそくH君のことを話しに来てくれた子がいた。

”宿題を左手で書いてきた”ことと、”その字がとても上手だった”ことを話してくれた。

 僕も見たが、一生懸命さが感じられ、ジーンとなった。

 授業中もがんばって左手でノートを書いていた。

 周りの人の対応も温かい。

 支え合うことの大切さを実感させたい。

 

 

 H君はおとなしいが、いつもニコニコとしていて、優しい子どもだったと記憶しています。

 そんなH君に、子どもたちは「何かしたい」「何ができるか」を考えます。

 学級会を開いて話し合い、決めていくところが何だかほっこりしてしまいました。

 担任である私が

「困っていることがあれば、できることをしていこうね。」

と言えば済むことです。

 一人の友だちのことを思い、考える。

 タイパが重視される今を思うと、「そこまでしなくても・・・。」となるのかもしれません。

 でも私は、「話し合いたい」と言った子どもたちを誇りに思います。

 友だちを、放っておけないのです。

 こういった何気ない話し合いがとっても大切なんだろうな、ってしみじみ思います。